パラバドゥー
Paraburdoo
西オーストラリア中西部、ビルバラ地方、パースの北東1,536キロに位置する。
人口:1,980(1996)、2,357(1981)、2,977(1971)。

オーストラリア観光案内

【オーストラリアツアーレポート】
フットファミリー旅行記 2003 文:若松孝弘

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 今回の旅はフットファミリーにとってはオーストラリア9回目、アデレードは2回目とのこと、皆様がアデレードに行かれるのなら私の友人に招待させよう、と考えたのが発端で話が進み、気がついた時には私もフットファミリーグループの一人として、数日間Barossa Valleyを一緒に観光することになってしまっていた。また皆様の運転手をするという名目がついたので、会社のパートナー、ジェフさん、わが社の頭脳、光井、そして妻の多実にも堂々とした言い訳が出来た。
 まずはグループの中でただ一人、パース経由でアデレードへ行く高木氏が、8月3日パースに到着、待望の2泊3日ゴールドハンターの旅がスタートした。

8月4日
 パース国内線を朝5時40分に出発した私達は、朝7時半パースより1,000キロ北のパラバドゥーに到着。飛行場では予定通りコリンが待っていてくれた。私達より1週間早めにパラバドウーでの金探しをスタートしていたコリンは、今回採ったゴールドナゲットを見せてくれた。予想したほどは採っていなかったので、採り残しがありそうだ、と内心ホッとした。パラバドウーのスーパーが開くのを待ち、3日間の食糧を買い込み、アウトバックへ4WDを走らせた。何度も水の流れていない川を横切り、川の谷間に位置するキャンプ地へ昼前に到着。雨が本格的に降ると、アッという間にこの場所も、渡つてきた川も、2メートルほどの深さの大濁流と化すらしい。周りの木々をよく見ると2メートルぐらいの高さのところに木の枝や括れた草がひっかかっており、その濁流の烈しさを想像することが出来た。そして今は雨季の真っ只中なのだ。雨が降らないことを祈りながら、高木氏にはその事については伝えなかった。
 さて、いよいよゴールドナゲット探しの開始だ。キャンプ地よりさらに奥ヘ7〜8キロ4WDを走らせ目的地へ到着。高木氏の顔が緊張して見える。高木氏の体調が気になったが、バッテリーを背中に負い、ディテクターをバッテリーにつなぎ、イヤホンも取り付ける。まずは2ドル硬貨を近くに隠し、それで練習をしてもらう。準備完了!
 高木氏のゴールドサーチがスタートした。私は余裕のある顔をして高木氏を見送ったが、高木氏が見えなくなった瞬間、大慌てで自分も用意した。私は先々週2泊3日でこの同じ場所にコリンと金探しに来ており、2〜3グラムの5つのゴールドナゲットを探し当てた。そのせいもあって、多少のゆとりを見せないわけにはいかなかった。
 ほうきの柄に大皿を取り付けたようなディテクターの本体を、左右に90度ぐらいの幅で振りながら歩くのは、見た目より大変で体力の要る仕事だ。バッテリーを背負うための肩のベルトと柄の真中程を太いゴム紐で繋ぎ、ディテクター本体の重さを軽減させるようにしてあるのだが、要領を得るまでは、つい手で持ちながら振り回してしまい、かなりの重労働となる。高木氏がばてる前になんとかゴールドナゲットに当たってくれ、と心で祈りながら、遠くで高木氏の位置を見守った。2人が余り近づくとゴールドディテクター同士が異常な反応を示してしまうから、50メートル程離れて移動していた。
 高木氏と私はライターを1個ずつ持たされている。ここ何百キロも人のいないような場所にいて、方角が分らなくなり迷ってしまった場合には、その場所から動かないで、草を集めて火をつけ煙を出す。その煙を頼りにコリンが私達を探し出してくれる、という手筈。コリンは衛星電話を常時携帯しており、まる1日たっても探しきれない場合は、次の日ヘリコプターが探しに来るように手配出来る。歩き回り過ぎて2〜3キロも離れてしまうとヘリコプターからの捜索は難しくなってしまう。方向がわからなくなった時は、歩かないでその場で待つ事が大事だ。去年もここ西オーストラリアのゴールドフィールドで、方角が分らなくなり反対方向へ歩いて行ってしまった人が、水不足になり死んでしまった。このように書くと、私達はかなりの冒険をしているように見えるので補足すると、私たちのいる場所には小高い丘が正面にあり、上に登ればプッシュに止めてある我々の車が確認できた。
 暑い中、全く反応しない重いディテクターを横に振り振り“俺は何でこんなバカな事をしているのだろう。ゴールドなんか買えばいいじやないか。”と、まだ始めて3時間も経っていないというのに、スタートした時の期待も気力も消えかけている。高木氏はうまく行っているかな、ひょっとして、もう金を見つけて大喜びしているかも?だが俺はもうこんな大変な事はこりごりだ、コリンには悪いが今回が最後になるかも知れない。と思った時“ワオン!”と大きな普がヘッドホーンから耳に響く。その時まであった脱力感が一変に吹っ飛ぶ。“ワオン!“の音の一番大きな場所を横側からも回り込み予測する。場所が決まったら、踵で印をつける。ハンマーの尖った方を使い、その場所に洗面器ほどの穴を掘る、穴の土を外に掻き出し、山になった砂から音が出るか確認する。音はない。その砂は捨て、もう少し掘り、次の砂を掻き出す。今度はその砂山から音を確認。ディテクターを砂山の横に置く、この作業をやっている時の楽しさの為なら一日中歩き回ってもいい、来年もまた来るぞ、と感じる瞬間。わずか2〜3分前の気分とは、かなり違うこの節操のなさ。ディテクターの皿の部分は、下の方だけではなく、上からの金属にも感知し同じように反応する。右手で山になった砂を掴み、皿の上に持って行く。音がしない砂は捨てる、5回目に“ワオン!”と響いた。やったー!この右手の砂の中に金が入っている。右手の砂を半分左手に移す。半分になった右手の砂を、もう一度ディテクターの上に持って行く。音がしない。金は左手に移っている。右手の砂を捨て、左手の砂を半分、右手に戻す。右手の砂に“ワオン!”、金も右手に戻った。左手の砂を捨て、ソーッと、少なくなった砂の右手を開く、手の中に黄金に光っている物が見える。2グラムほどのゴールドナゲットだ。
 こんな大自然の中で何千年も誰にも見つけられずにいたゴールドナゲットが、今、私と対面した。先ほどまであった疲労感は吹っ飛び、しばし感動の中に浸る。
 元気を回復した私は、もう1個探そう!と元気が沸いてくる。今採った金がポケットの中にちゃんとあるか、しょっちゅう確認しながら、荒野を歩き回る。そろそろ終わりの時間が近づいてきた。遠くに高木氏が見えた。元気が無い。あの調子では金は見つけていない、と判断。私は一人だけ喜ぶわけにも行かず、凄く小さいのが一つありました、と軽く言いのけた。高木氏の表情は硬い、これはまずい。私にしても高木氏が自分で金を見つけなければ、アデレードでフットファミリーの連中にあわせる顔が無いし、高木氏はもっと辛いだろう。

8月5日
 二日日の朝が来た。今日高木氏がナゲットを見つけないで終わると、午前中しか探す時間の無い明日が、かなり焦った日になってしまう。高木氏には何が何でも、金を見つけてもらわないと困る。そこで今日は、前回コリンがたくさん金を見つけた場所へ行く事になった。そこにはディテクターが入っていけなかった薮がたくさんあり、その薮に火をつけ、薮だった所を探す事が出来れば、かなりの確率でゴールドナゲットは見つかる、と期待が膨らんだ。しかし結果から報告すると、せっかくのコリンの努力も空しく、その場所からは3人がかりでも1個の金も探す事は出来なかった。
 その朝高木氏は金探しの開始と同時に、コリンのセットしてくれた、スタート位置から500メーターぐらい離れた火を燃やしている場所へ直行せず、左へ大きく旋回して行った。もちろん私はコリンが火をつけている山火事時状態の場所へ、真っ直ぐ向ってサーチを始めた。“自分の意志で歩き、自分のディテクターで音を探し当てるところに意義があるのだが、まあ仕方がないか、高木氏が来るまでに探しておいてあげるか”と思いながら歩いていた。しばらくすると、左のほうから“お〜い、タカさん。音がするよ!”私はディテクターとバッテリーをその場に放り投げ、高木氏の呼んでいるほうへ走った。高木氏のいた所は、コリンの車が通ったタイヤの後がある直ぐ横の、草花の咲いている場所だった。まさかこんなところに、と思うような場所だった。高木氏は懸命に掘っている。しかしなかなか見つからない。私がバトンタッチして掘り始めた。穴はどんどん大きくなっているが、砂はぜんぜん反応してくれない。私は焦りもっとたくさん掘り崩し、片手での確認は面倒になってきたので、両手で大量に砂をすくい上げ、ディテクターの上に持っていった。その時だ!“ワオン!”大きな音が響き渡った。二人は目で合図しあった。私はその砂を高木氏に渡し、主役のステージから一歩退いた。ディテクターの横にしゃがんだ高木氏は、両手に持たされた砂の片手分を、ディテクターの上に近づけた。その手の砂はワオン!ワオン!と大きな音を立てている。その手の中に金があるのだ!高木氏は手のひらのゴールドナゲットを探した。光っている物は無いが黄色い粘土の塊があった。感動に震えた高木氏はその黄色い粘土のような塊を手にとった。汚れを落とし、金を見ようとしたその瞬間、塊の3分の2位がポロポロと粉になって手から足元にくずれ落ちた。ああっ!と高木氏の声。それでも1グラムぐらいの黄色の塊が残った。かなり小さくなってしまったが、それでも自分で探し当てた金だ、と高木氏も私も気持ちを持ち直した。2人は感動していた!その小さな塊に黄金色を見ようとして磨こうとした瞬間、その金がポロポロとまた粉になって足元に落ちた。あれー? これは砂金だったのかな?私は慌ててその粉を両手ですくってディテクターの上に持っていった。“ワオン!”??? 私と高木氏はハッと気が付いた。これは私の指輪に反応しているだけじやないか。良く見ると高木氏も時計をした手で確認していた。私達は興奮のあまり、初心者の良くやる間違いをしでかしていたのだ。ただの粘土に感動して、涙を流しそうになっていたのだった。私達はアッという間に現実に舞い戻っていた。
 “骨折り損のくたびれ儲け”は良いのだが、高木氏にカラ喜びをさせてしまった。
 このような場面でこのような間違いはとても疲れる。だが念の為にと思って掘った穴の中を確認すると、まだ確かに大きな音がある。高木氏は“タカはまた何か金属の物を近づけているな”と疑いぎみ。しかしまだ確かにしっかりとした音がある。それもかなり大きい音だ。私は地面に両膝をつき、名誉挽回の為“ここ掘れワンワン”のポチのようにしつこく穴を掘って協力した。再び高木氏の手の中で一握りの砂がワオン!ワオン!と大きな音を立てた。
 こんどは時計をしていない右手だ。手のひらを開くと結構大きな粘土のような塊がある。端のほうが金で黄金色に光っているのが見えた。塊がかなり大きいので石に金が混ざっているタイプの物だろう、と予測した。しかし磨いてみるとなんと石英の一切無い無垢のゴールドナゲットだった。私達は感動していた。本当に来て良かった。高木氏が探し当てたこのゴールドナゲット、何と26.4グラムもあった。
 素晴らしい発見に高木氏は満足しきってもう探そうともしないので、私はその幸運のディテクターを借用して、そこいら中歩き回ったが、その後ディテクターは2度と音を発する事はなかった。その次の日も二人とも皆無だった。
 しかし高木氏にとっては、夢のようなゴールドサーチの旅となった。キャンプしながらこんな大きなゴールドナゲットを探し当てた日本人はいないのではないだろうか。
 私の親父がガタルカナルに戦争で行った時の話をよくしていたように、高木氏もこの思い出話と、ポケットに潜ませたゴールドナゲットは、どこまでも高木氏に付きまといそうな気がする。
 3日間の3人の結果を報告すると、タカ1個、高木氏1個、コリン約20個、というような成績だった。実力通りだ。この際大きさは比べない事にしよう。
 尚、今回のコリンは今年3回目の旅(トータル3ケ月)となり合計1万8千蒙州ドル(約¥150万円)の金を探し当てた。ちなみにコリンは、去年9月にたったの3日間で、6万4千豪州ドル(約¥550万円)の金を見つけ、金額での自己記録をうち立てた。

8月7日
 高木氏と私はパースを出発し、皆より数時間先にアデレードに着き、バスを借切り、シドニーから来る皆の到着を飛行場のロビーで待っていた。アデレードに着いた皆を、私の運転でプロッサバリー(Barossa Valley)のホテルまで連れて行く予定。
 ロビーで皆にゴールドナゲットの話を尋ねられた時は、どのように説明するか、高木氏と打ち合わせしておいた。さて皆が着いた。挨拶が済んだ。しかし、誰もゴールドハンティングの事を尋ねてこない。そうか、こちらが黙っているから、勝手にだめだったんだろうと察して、尋ねあぐんでいるのだろう。質問が無いから話しようがない。バスはとうとうプロッサバリーのホテルに着いてしまった。遂に話をする機会をなくした私達は、ホテルに着いてからどうして聞かないの?と質問を催促した。

8月8日
 今日は私の昔からの友達であるランスとリンのハウスボートに、皆で招待された。
 雄大なマリー川の絶壁を眺めながら、フットファミリーグループと一緒に大自然を感じあった体験は、私のすばらしい思い出として残った。ありがとう!ランス&リン。

8月9日
 この日はゆっくり運転をしながらプロツサバリーの名所回りを楽しんだ。皆が行く場所を良く知っていたので運転手としては大助かり。あまりたくさんの所を予定にくみ入れなかった事が良かったと思う。のんびりした1日だった。大いに不満だったのは、運転手の私はワインの試飲が、舐める程度しか出来なかったことだった。

8月10日
 今日はプロッサバリーからレンマークへ移動。移動の途中、ワイケリエという町でグライダーに乗る3名に付き合うことになっていた。どんな物好きが乗るのかな、と思って顔を眺めていると、なるほど、やはりいた。
 私達は寒空の中、この物好き3人に付き合って、口をポカーンと開けて、一人30分ずつ飛ぶのを見ていた。2人目までは珍しさもあって我慢できた。3人目の物好きの番になった。物好きとインストラクターの2人を乗せたグライダーは、セスナ機に引っ張られて、約1,000メーター上がった。グライダーからロープが外された。セスナ機は前の2回と同じように、ロープを金魚の糞みたいに引きずりながら、滑走路へ帰ってきた。上に取り残されたグライダーは、優雅に大空を青も無く、右へ左へ、上へ下へ、と気持ちよさそうに、風に乗りながら降りてくる。寒いし、もうつまらなくなったから、立って見ていた芝生の上で、怜ちやんと美佳ちやんの体操を見せてもらいながら遊んでいた。すると何とグライダーがいきなり急上昇した。アッと思った瞬間に2人の体操ではなくてグライダーがとんぼ返りをした。私は驚いた。
 飛び立つ前に通訳をした時は、後ろの席のプロのインストラクターがレバーを右や左に倒す事により機体は右や左へ曲がる、上へ行くときはレバーを手前に引き、グライダーは上昇、スピードは落ちる。下へ行く時はレバーを押すと、機体は下がりスピードは加速する、といった程度の操作を、後ろに乗っているプロのインストラクターがするとのことだった。そして前の席に乗っている初心者は、やりたければその操作をグライダーが高い位置にある時、少しやっても良いとのことだった。最初に挑んだ藤野戸夫人はパイロットにすべて任せたが、一番乗りとは勇敢な人だった。また藤野戸氏は流右だ。上空で一人で操縦をしたらしい。
 話を3人目に戻そう。今そのグライダーが頭上で宙返りをしているのだ。中に乗っている中村氏は、そんなことをするとはぜんぜん知らないはずなのだ。また宙返りをした!続けて加速する急降下だ!そういえば中村氏の時にインストラクターが交代したが、こいつは、電話でグライダーの予約をした時、話した男だ。その時奴は言った“俺はグライダーが大好きだ、グライダーに乗りながら死ねたら本望だ”と。
 中村氏が宙返りをしている時、あっ、今は椅子に座っている状態ではなく、シートベルトに大腿部でぶら下がっている状態だな、と考えたらかわいそうで、かわいそうで、なぜか笑いが止まらなかった。いやこれは、私だけではなく皆その様な反応をしていたように記憶する。中村氏はインストラクターに咄嗟に“おい、やめろよ!”というだけの英語力があったのだろうか。ちなみに英語では“Stop it!”とでも言うのだろう。しかしこの暴走族に“Stop it!”なんていったらほんとに止めてキリモミをしそうな感じだ。何はともあれフラフラの中村氏が降立った。私達は拍手と心配と笑いで勇敢な中村氏を迎えた。
 それにしても美佳ちやんの体操の素質と上達の速さには驚きました。怜ちやんもきっと同じようにうまくなると思います。次に出会った時、また見せてくださいね。
 3人のグライディングが終わった時、私と旗野氏にとっては皆との別れの時間となった。旗野氏は仕事のため家族を残して途中での帰国、私も何時までもついていくわけにも行かない。グライダーを楽しんだワイケリエで2人はグループに別れを告げて、アデレードへ∪ターンした。
 皆はまだ、レンマークとアデレード市内の観光を残していた。私達が経験できなかった空白の数日間については、皆様の感想文で教えてもらえることだろう。

終わりに
 またまたフットファミリーの皆様と、共に楽しい数日間を過ごす事が出来ました。
 特に印象深い事として、高木氏のゴールドナゲット発見、マリー川の大自然でのひと時、中村氏の宙返り等。
 今回新しくお知り合いにならせていただきました藤野戸夫妻、東野ご一家、風間様、高木健一君これからもよろしくお願い致します。皆様のお陰で命の洗濯が出来ました。
 有難うございました。来年のフレイザー島、楽しみにしております。