オーストラリア観光案内

【オーストラリアツアーレポート】
フットファミリー旅行記 2005 文:若松孝弘

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 今年もフットファミリーがやってくる。
私にとっての2005年の前半はマートン社の移転があり、
仕事の面でも5月までの時点で日本に4回も出張したり、
めまぐるしいものだった。
8月にフットファミリーの旅行が入る事により、良いリズムが取り戻せるような予感があった。
そして今回もバス運転手兼日本語ガイドという大義名分つきのありがたい仕事なのだ。

 今年のフットファミリーの旅行は
 前半がニューサウスウェルス州8泊9日ブルーマウンテン地区観光、
 後半は私が参加した南オーストラリア州4泊5日マリー河クルージングと2泊3日ドイツ人移民の町ハンドルフ滞在だった。

 毎年長濱氏が準備されるオーストラリアツアーは、ただの観光では収まらない。
私が経験した後半の1週間はすばらしいものだった。皆様の前半の感想文も、とても楽しみにしている。

8月13日(土)
 アデレードに午前11時前に降り立った私はかなり焦っていた。
私の乗った飛行機は多少遅れぎみだった。
皆が到着する12時までに今回の仕事を問題なくこなす為にクリアーすべき課題がいくつかあった。
いらいらしながら飛行機から運ばれてくる自分の荷物を受け取り、すぐ1つ目の課題に取り掛かった。
それは22人乗りのバスをピックアップしてその運転に慣れプロのドライバーとしての自信をつけることだった。
2つ目は大きなショッピングセンターを見つけ、皆が今日から4日間必要になる食糧を買い込み、その後約150km、途中アデレードヒルの丘を越えながら、通ったことのない知らない道をランスとリンの待っているイラワンガへ4時ごろまでにたどり着くことだった。
そして私を焦らせている最大の原因になっている3つ目の課題は、皆が到着する前に携帯電話を入手することだった。
早朝、眠気まなこの多美にパース飛行場で落とされた私は、チェックインカウンターに向いながらハッとした。
充電中の自分の携帯電話を忘れてきてしまった。
今回の旅では携帯電話は必需品なのだ。さーて困った。
 結論として私はアデレード空港でプリペイ式の携帯電話を入手することに決めた。
最近外出が多くなった娘のゆきに"そろそろ携帯電話を買ってあげようかな"と思っていた所だったのだ。
だがここでまずいことが起こった。
アデレードの飛行場に携帯電話は売ってなかった。
しまった!パースの飛行場で買っておけば良かった。
このままじゃ皆に携帯電話を忘れてきたことがバレてしまう。
そうだ!ここに無ければ郵便局だ!慌てた私は慣れないバスに乗り、慣れない道を走り回り、教えてもらった郵便局を探した。
ついに見つけた!だがそれは私の想像していたデパートのようにいろいろな事務用品を揃えている大きい郵便局ではなく、生い茂った雑草のため、かろうじて郵便局のサインが見える掘っ立て小屋程度のものだった。
私はバスを止め携帯電話があるかどうかの確認をすることもなく、もうすぐ皆が到着する飛行場へがっくりと肩を落とし帰っていった。
予定通り飛行機が到着した。
久しぶりに会う皆さんと挨拶を交わし皆さんの荷物をピックアップしバスへ向かう。
今回私がはじめて会う人は石川正美様一人だけだった。
また一人フットファミリーの知人が増えた。
藤野戸夫妻、籏野一家、風間夫妻に会えなかったのは残念だったがまた次の機会がある。
私の義父母、内田夫妻は前半ニューサウスウェルス州の旅行に参加予定だったが義父の急病で間際のキャンセルとなった。(だが有難い事に心配をおかけした義父の回復はとても早くもう退院し自宅へ戻っている。)
さて全員バスに乗り、いよいよ出発だ。
携帯電話についてはショッピングセンターで入手すれば良い、それまで黙っておけばどうって事はない、と心に固く誓った。
しかしここで私の悪い虫が登場して長濱氏と高木氏に目が合った途端、絶対に言わないと決めていた機密事項をあっさりと漏らしてしまった。
思った通り二人はあきれたらしく"知―らない"といったような顔をした。
私は別に何も問題はないような顔をして言い訳した。
"今から行くショッピングセンターで買う予定なのです"。
最も込み合っている土曜日お昼時のショッピングセンターに着いた。
何百台も止まると思われる駐車場は車で満杯だ。
どうしようも出来ないので皆だけ下りてもらい、各自買い物と昼食を済ませ、またその場所で時間を決めて、ピックアップする事にした。
普通の車でも駐車スペースはないのにこんな大型バスなんか止める場所があるはずがない。
私は駐車場の周りをゆっくり運転しながら考えた。
困った、どうしよう。今買わないとあの大自然の中のブランチタウンやワイケリーではとても携帯電話は期待できない。
絶望的にいらいら考えながら駐車場を回って時間をつぶしていると、なんとデパートの一番近いところに駐車スペースが一つ見つかった。
近づいて行くと"フームそうか"と空いていた理由が解った。
どうしよう、5分ぐらいなら大丈夫かも知れない。迷った末、私はそこに駐車する決断をした。エンジンを止めきょろきょろ周りを見回した。まだ誰にも見られていない。
私はすばやくエイトマンのように走り抜けデパートへ消えていった。
かすかな不安はあったが、何もかもうまくいった。
携帯電話販売店のお姉ちゃんはてきぱきと動いてくれ5〜6分後には充電されて使用可の携帯電話が私の手の中にあった。
私は"You are most helpful ! "と言って彼女に感謝し、言い終わった瞬間走った。
エイトマンがバスへ帰って来るとバスは警備員なしで私を待っていた。
しめしめ!これで警備員に変な言い訳をする必要はなくなった。ぎりぎりセーフだ。
ちょうど時間になったので指定していた場所へ移動し皆をピックアップした。
高木、長濱両氏には"ほらね、何の問題もなかったでしょう"といわんばかりの顔をしてとりたてホヤホヤの携帯電話をチラつかせた。
ショッピングセンターからイラワンガへの道は多少遠周りだったが確実なスタートハイウェイに進路変更した。
予想どうりイラワンガには少し遅れて到着した。
時間があれば見よう、と計画していた鍾乳洞の見学には間に合ったし、携帯電話は手に入れたし、快適なドライブが楽しめたことを思えばまずまずのスタートになった。
それに私がショッピングセンターで切羽詰まって身体障害者用の駐車場所にバスを止めていたとは誰も夢にも思っていない。
もし警備員に見つかった時は、"歩けないようなご老人の方達ばかり乗せていたので、降ろしてセンターの中までエスコートしてきたところです。今から遠くに止めてきます。"といって逃げようと計画していたのだ。
ついにイラワンガに着いた時出迎えたランスが、メルボルン経由で来たのかい?とジョークとも皮肉とも取れるような事を言ったが私には笑ってごまかす以外手はなかった。
この旅行の最初の予定で本日のハイライトとなったケーブ見学については、どういう鍾乳洞なのか?どこにあるのか?バスでいけるのか?等、何の予備知識もなかった。
ランスが自宅のハーバーへ皆を連れて行った。
ケーブへはハウスボートの隣に泊めてあった12〜3人乗りのボートでランスの息子の一人であるポールが案内する手はずになっていた。
ポールはここイラワンガ地区で主にアデレード近辺の小、中学生を対象に自然の中でキャンプさせ自然との色々な企画を組み、そのガイドをする仕事に情熱を燃やしていた。
もう一人の息子クレイグはランスとリンが一代で築き上げたアクロマットというスポーツ器具製造会社を受け継いでいる。
アクロマットはオーストラリアナンバーワンのスポーツ器具製造会社でシドニーオリンピックの時もたくさんの器具のオーダーがあったようだ。
さて、ランスのハーバーをボートで出た私達は対岸の多少上流に当たる方向へ向った。
ボートにはポールと一緒にランスも乗り込んできた。
対岸に向う途中ランスが皆にポートワインを勧めている。
出会ったばかりで皆は遠慮がちだ。
仕方がないので私も一口いただき、遠慮する必要がないことを示してあげた。
甘くて口当たりが良く、夕方に近いボートの上では、大変気の利いた飲み物だった。
25年前同じこの場所で船に乗り体操仲間達で川くだりをした。
毎晩パーティーでランスが酔っ払ってボートから落ちた事を想い出したが皆には公表しなかった。
マリー川はくねくね曲がってゆっくり流れ、川が湾曲している所では決まって一方が平地で反対側は50〜60メーターの雄大な崖だった。
ポールが案内してくれた洞窟はその崖の根元にあった。
此処からかなり上流にある村で泥棒がボートで川を下って逃げた時、その村から何kmにもおよぶこの洞窟を通り抜けて悠々と泥棒を捕まえたという原住民の物語をポールは話してくれた。
マリー川はくねくねと曲がっている事がその話からも解る。
洞窟の中でポールが懐中電灯を1分間消すからその間は一言も話すな、と指示した。
誰かがボタンを押すと天井のほうで明りがつく訳ではない。
我々は大自然の洞穴の奥深く何百メーターも来たところに懐中電灯だけで入って来ているのだ。
私は今まで生きて来た一生で最も暗い世界を体験した。
それは地球と自分と周りの全てが一体になったなんとも不思議な世界だった。
外へ出た時誰かが私の閉所恐怖症を思い出し"怖かったでしょう?"と聞いた。
私はなぜか不思議なくらい怖くなかった。
一つには長い年月を経て自然にできた穴は前回金鉱に降りていった時とは違い、いきなり崩れそうな感じがなかった事、もう一つは真っ暗の世界にとても感動していて我を忘れていたからなのだろう。
外に出た時は、ちょうど夕日のきれいな夕暮れ時で大自然の中のすばらしいひと時を味わった。
雄大な崖の穴だらけの壁面は、たくさんの鳥たちのマンションになっており、私達と同じように夕日を受けて自然に溶け込んでいた。

8月14日(日)
 2日目の朝は船でクルーズする組とワイケリーへグライダーに乗る組とに分かれた。
私はまずハウスボートに乗る組を船まで送り届けた後、グライダー組をワイケリーへ運んだ。
グライダーに乗る今回の勇志たちは、今井のお母様を先頭に高木氏、加藤恵ママと美佳ちゃん、そして懲りずに2回目の中村氏だった。
美佳ちゃんは楽しかった様子で、終わった時"もう一度乗りたい!"とはしゃいでいた。
グループ最後の飛行士となった中村氏の番が来た頃には、風はかなり強くなっていた。
中村氏は一昨年やったとんぼ返り2回転や急降下はしなかったにもかかわらず青い顔をして降りてきた。
上空では風が大変強く前回とは大違いに怖い飛行だったらしい。
私は"ククク、それ見なさい、お金まで払って目をまわしているじゃないか"と青い顔をした中村氏の挑発に乗らなかった自分を褒めた。
中村氏は私に"一緒に乗ろうよ、楽しいよ"と何回も誘いをかけていたのだ。
私は返事の代わりに彼がグライダーに乗り込んだ時クリスチャンのように手で十字を切り、仕上げに仏教徒のように両手を合わせて頭を下げ別れを告げた。
縁起でもない真似はよせ!と言われたように聞こえたが頭を下げていたのでよく判らなかった。
予定どうり夕方にはハウスボート組とグライダー組がブランチタウンで合流。
その後は全員でハウスボートのクルージングを3日目4日目と存分に楽しんだ。
ハウスボートには昔体操関係で友達だったマックスとイボンも乗船していてとても楽しい雰囲気を作り出してくれた。
グループの中では怜ちゃんが最もハウスボートの運転をした。
ゆったりと進む船の中でのんびりとした時間が過ぎて行った。
私の教育のせいか船の上からユーカリの木々を眺める時は、皆こぶが目に付くようになっている。
フットファミリー以外の人達では意識することすらないものだろう、と考えるとおかしくなってしまう。
特に今井のお母様はかなりコブ探しに興味を示された。

8月16日(火)
 4日目、ついにハウスボートはイラワンガに帰り着いた。
ランスは皆に彼の体育館や蒸気船のエンジンなどをリストアしている自分の倉庫を見せてくれた。
体育館では美佳ちゃんと怜ちゃんのすばらしいトランポリンの演技を見ることが出来た。
トランポリンに出会いわずか2〜3年のうちに、後ろ宙返りの回転中でもつま先まで気を使うことの出来る程度の基礎が2人には身についていた。
将来がとても楽しみな二人だ。
イラワンガに着いてから4日目の夜、ランスとリンとの最後の夜となった。
フットファミリーは2人をイラワンガのホテルに招き素敵な夕食会が催された。
私も今夜は運転しなくても良い事になり楽しく飲んだ。
食事が終わるとランスの息子ポールがバスでホテルまで私達を迎えに来てくれた。
いよいよこれから夜行性の動物ウォンバット探しだ。
屋根の上に取り付けられていて車内から座ったままで動かす事の出来るスポットライト二個、ランスの家の回りの道路4〜5kmをゆっくりとその2個のスポットライトで照らしながら走行。
昼間はほとんど見つける事が出来ないウォンバット、カンガルー、野うさぎ達をたくさん見つけることが出来た。
楽しいひと時だった。

出発の朝が来た。
 ランスとリンにお別れの挨拶を済ませ私達のバスはハンドルフへと出発した。
イラワンガから途中マリー河に架かっているマリーブリッジを見学したりしながら一路ハンドルフへ。
快適なドライブでお昼前にはハンドルフのホテルへ到着した。
ハンドルフはドイツ人移民が1800年代に住み着いた町でこじんまりとしたかわいい町だった。
ハンドルフ滞在は各自自由行動との事だった。
よし、ここではドイツのビールを飲みドイツのソーセージだ。
と長濱、中村、若松の3人組はその日の昼、夜、翌日の昼、夜、とドイツ料理に浸った。
ハンドルフについた日の昼食時、3人でビールとソーセージを食べ始めようとした時だった。
隣にあった暖炉の横に品質の良さそうな現地のマリールーツ(木の根)が薪用に置いてあるのが目に付いた。
こ、これは燃やすにはクオリティーが高すぎる。
私はすかさず客引きをしているホテルのオーナーを探しつけ訊ねた。
"あの暖炉の横にあるマリールーツを譲ってください。
いくらですか?"オーナーは、面倒くさそうに言った。
"4万ドル、それが払えないならワシが見ていない隙に持って行け!"このオーナーにはあの木の良さがわかっていない。
やるなら今だ!私はビールとソーセージはお預けにして、泥と塵だらけの20kg以上もあるマリールーツを両手で抱えレストランの外に消えた。
せっかくドイツ風の昼食が始まろうとした矢先に、犬が土の中に骨を隠すようにマリールーツを外のどこかに隠しに行くことが私の最優先事項となってしまった。
またタカの悪い癖が始まった。と長濱、中村両氏はビールとソーセージに舌づつみを打っていた。
ハンドルフでドイツ料理以外にもう一つ印象強かった事があった。
それは画家ハンズヘイソンの居住地訪問だった。
これは中村氏の"Must Do List"に入っていた為、全員で見学に行く事になった。
画家ヘイソンが自分のお家の庭から見える色々な景色を描いた絵の複写画が実際に描いたその地点に置いてあり、そこに立って実際の景色と見比べながらその絵を鑑賞するのだ。
何エーカーもある大きな庭の10箇所ほどのポイントを歩き回る素敵な散歩は、ソーセージとビールの飲みすぎの体の為にもなり、全ての絵にユーカリの木が描いてあり、ユーカリの大好きな私としてはこの上なく楽しいひと時だった。
さて出発の朝がやって来た。
高木氏に作っていただいた蔓で編んだ籠を宿泊したホテルの気の付く受付嬢にプレゼントしたところ大好評だった。
前回も学んだのだが今回も私は高木氏に籠の作り方を教えてもらった。
高木氏が作るときれいな物が出来るのだが私がやるとどうしてもうまくまとまらないのが悔しい。
この3日目の朝は早めにチェックアウトを済ませ、アデレードに向けて楽しかったハンドルフを後にした。

旅は終わった。
今回も長濱氏が準備された旅は繊細に組み立てられていた。
私は現職の教員、リタイアされた元教員、一代で大会社を築いたランスとリン、体操のコーチと審判を未だに手伝って体操協会に貢献しているマックスとイボン、毎日表通りで自ら客引きをしながらハンドルフホテルを繁栄させているオーナー、それぞれの人達の人生をゆったりと味わいながら家族の待つパースへ向う飛行機に揺られていた。